2014年2月8日土曜日

スワミ・ヴィシュワナンダのダルシャン ベロ・ホリゾンテ、ブラジル

ベロ・ホリゾンテで土曜日に行われたダルシャンは素晴らしい公演でした!
今回はある学校の、爽やかな樹木に取り囲まれた、野外のスポーツ・
ホールで行われます。おまけにその日は大変素晴らしいお天気でした。
スワミジはダルシャンの前日、翌日はササングで話しをするので、スピーチはしないと言っていましたが、実際にダルシャンが始まると、それこそ1時間以上も話し続けます!
グルジはインドの偉大な聖者、ジャガナート・ミシュラの話をします。彼が
ギタを読んでいると、次の箇所が目に止まります。「私達は神様に仕える為に
生まれて来ました。そして神様は私達を守る為にここにおられます。(ヤハム、
ヤハム)ジャガナート・ミシュラはこれを読んでびっくりします。そしてこれは
誤りに違いないと考えます。そこで彼は「神様は私達を守る為にここにおられます。」
という句を削り取り、「神様は私達から守られる為にここにおられます。(ダダハム、
ヤハム)」と書き直します。それから暫らくして、彼の家族は飢饉に見舞われます。
そこで彼は妻に向かって、これから川へ行って何時ものように体を洗い、
この問題の解決法を考えて来る、と言い残して出掛けます。
彼が行ってしまうと、一人の小さい男の子が訪ねて来て、彼の妻に籠一杯に盛った果物と野菜を持って来ます。子供が戸を叩くと、ジャガナート・ミシュラの妻は戸を開け、
男の子を見てびっくりします。男の子の顔は傷だらけで、正に丁度殴られたかのように
見えたからです。妻は「誰に叩かれたの?」と訊きます。小さな男の子は「あんたの
旦那さんだよ」と答えます。「僕は彼が川へ行く途中で会ったんだ。そしてこの果物と
野菜をあんたの所へ持って行くように言われたんだけれど、痛い目に会った。」妻は
夫のしたことに大変腹を立てたにもかかわらず、この大変な時期に食べ物を
もらって感謝します。男の子は去って行き、彼女はジャガナート・ミシュラが
帰って来るのを待ちます。妻は夫の説明が聞きたかったのです!
そしてやっとジャガナート・ミシュラが帰って来ると、妻は彼が何故食べ物を
持って来た男の子を殴ったのかと訊きます。ところが彼は川へ行く途中誰にも遭わ
なかったし、まして人を殴ったりなどしていないので、非常に混乱してしまいます!
そして長い間この事について考えます。突然ジャガナート・ミシュラは、この男の子がシュリ・クリシュナ以外の何者でもないということに気が付きます。彼は聖なる文書の
人格化であり、ジャガナート・ミシュラは自分が間違っていたことを認めます。ギタを
否定するのは過ちであり、男の子の顔の傷が示すように、それが主に対するとんでもない反逆であることを理解します。でもこのお話の真の意味は、神様が何時も私達に
連れ添って、守っていて下さるということです。男の子は虐待されたにもかかわらず、
食べ物を持ってやって来ます。神様はいつもそばにいて、あなたの面倒を
見て下さることでしょう! 神様の愛は無条件です。この瞬間ジャガナート・
ミシュラは再び人生と神様に対する純な考えを取り戻します。