2016年9月5日月曜日

バガヴァッド・ギーター・コース第7日目


今日で一週間になりました。パラマハンサ・シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダは、バガヴァッド・ギーターの講義を続けています。時間があっという間に過ぎていきした。毎日、スワミジは、平均10時間解説をしました。第7日目のパラマハンサ・ヴィシュワナンダは、第15、16、17章を扱いました。

第15章は、「プルショッタマ・ヨーガ」(至高の存在を達成する方法のヨーガ)と呼ばれます。この章でクリシュナ神は、プラクリティとプルシャを超越したイーシュワラ、プルショッタマを論じます。クリシュナが彼自身としている至高神は、魂さえ越えて存在し、またそれは全てのものの起源です。この章は、達成され得るこの至高神との一体について語っています。

人が魂に自分の人生を管理させる時、全ての管理者は神であることに気づきます。実際には、あなたが運転しているようでいて、彼が運転手なのです。あなたは車の中に座り、彼が運転手です。彼はあなたをどこにでも連れていきます。なのでここでは、あなたもおわかりのように、彼(クリシュナ)が馭者になることを選んだ時は、楽しみのためだけにそうしたのではありません。まるで「よし、自分にはすべき仕事はない。でも、もし私が戦えば、私が勝利する。」とでも言って、楽しみのためだけにそうしたのではありません。「いいえ、私は戦いません。」と彼は言いました。わかりますか?彼こそがこの宇宙全体の全てを統治するものであることを示すため、そしてあなたが望もうが望ままいが、私たちは永遠に彼と繋がっているということを示すため、彼は馭者になることを選ぶのです。彼のエネルギーは、破壊できるエネルギーや不滅のエネルギー、いかなるエネルギーよりひいでています。なので、全ては彼なのです。そして、彼はそれを超越しています。彼はそのエネルギーそのものの源です。彼は全てのエネルギーの形態、全てのバイブレーションの源です。

この完全に純粋な実在、至高の実在に達する人びとは、全てに一体性を知覚します。人は全てになります。人は、周りの全てのものと一緒であることに気づきます。そこに分離はありません。この側面では、悪もなければ善もありません。ここには、至高の静けさと安寧があるだけです。この至高の至福があります。至高の平和があります。宇宙のバイブレーションだけが、至る場所で振動しています。人は理解することと、聞くことの障壁を突き破ります。人は、全ての音の背後にある宇宙音だけ聞きます。それはオーム・ナモー・ナーラーヤナーヤです。そういう訳で、全ての賢人が「オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤを唱えなさい。」と言いました。なぜなら、これが宇宙の音だからです。

あなたがそれを唱える時はいつでも、その音はあなたが気づくことかできる全ての音の背後にある音です。ですから、ヨギたちは、いとも簡単に成功を収めてきました。バガヴァーンは、オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤの秘密を明らかにしていきました。賢人は、「もしあなたが平和を欲するなら、オーム・ナモ・ナラヤナヤを絶え間なく唱えなさい。」と言いました。「そして、そのバイブレーションを全ての場所に響かせなさい。なぜならこれは、それが至高のバイブレーションそのものだからです。」- パラマハンサ・ヴィシュワナンダ 2016年8月22日


第16章は、ダイヴァースラサンパド・ヴィバーガ・ヨーガ(良い性質と否定的な性質を識別するヨーガ)と呼ばれます。この章では、クリシュナ神は、神実現した魂が持っている神を敬う性質について説明します。シュリ・クリシュナはアルジュナに、神を実現した人や神の性質を持っている人にどのように気づくことができるかについて説明します。そして、悪魔のような性質や邪悪な性質を持っている人びとに、どのように気づいていくかの説明をします。これは誰か他の人の中にあるのではなく、それぞれの人の内側にあります。

何らかの実習法、つまりあなたを浄化する方法、自分を清める方法があります。そして、あなたがそれに従いたいのであれば、神がその道を作り、あなたがそこに導かれるように、事を起こしてくれるでしょうとバガヴァーンは言いました。しかし、まず最初のステップは、あなたがそれを欲することです。もしあなたが欲しないのであれば、それはあなたのところにはやって来ないでしょう。しかし、あなたが変化を欲するという第一歩を踏み出すなら、変わりたいという思い自体が、あなたに新しい世界を開くでしょう。」

ここでバガヴァーンは、誰も迷ってはいないと言いました。ここ地球ではいつでも、誰にでも機会が開かれています。ここで生まれた誰でも、特に邪悪な傾向がある人びと、タマス的な人びとに神はいつでも思い出させるでしょう。彼はいつも彼らに思い出させるでしょう、しかし、選ぶのは彼らです。彼は、いかなる人にも選択を強いることはできません。彼は常に思い出させる存在です。同じように、あなたは、あなたを指差し、批判し、判断し、あなたに対してあらゆる邪悪なことを言う多くの人びとにとって、常に思い出させる人です。しかしこれもまた、彼らに対する神のリマインダーなのです。

バガヴァーンは、いつも彼らに彼の臨在、パワー、愛を思い出させます。彼はいつも彼らを助けるでしょう。しかし、選択は彼らだけのものです。ですから、あなたは彼らにとって、神を切望するための閃きです。しかし、彼らがその道を歩かなければなりません。自分で完成への道を歩かなければなりません。自分で自由への道を歩かなければなりません。- パラマハンサ・ヴィシュワナンダ 2016年8月22日


第17章は、「シュラッダートラヤ・ヴィバーガ・ヨーガ」(3つのタイプの信仰の間の相違についてのヨーガ)と呼ばれています。この章ではクリシュナ神は、幾つかの異なったテーマに触れます。人生の異なる側面:何を食べるか、私の行動、犠牲的行為(神に対する崇拝)などの分析が主な焦点であり、それと、3つのグナ- サットヴァ、ラジャス、タマスとの関係性を示しています。

「見せびらかすためでなくハートから、奉仕の本当の気持ちで人々を助け、慈善を行う人は、そして、与えてそのことを忘れる人びとは、なんの感謝や「ありがとう」も期待しません。彼らは、奉仕することが自分の義務だと感じ、奉仕することに大きな喜びを感じるからやるのです。彼らは奉仕することに気持ちの高揚を感じます。それは、何か見返りが欲しいからではありません。ここには、真の奉仕の感覚があります。奉仕は、報酬を得たり、何かを期待することではありません。違います。奉仕「セーヴァ」は自由なものです。あなたはそれを主のために行います。神のために行います。なんの期待もなく愛の心から行います。なぜなら、あなたが愛の心から行うことは、見返りになんの期待もないからです。

「しかし、考えて何かをする人びとは、それはほんとうの慈善でも奉仕でもなく、マインドの重荷としてやっています。」そしてここでバガヴァーンは、あなたが奉仕する時には、マインドは自由であるべきであると言います。あなたが奉仕をしている時、セーヴァをしている時、あなたはマインドを穏やかにし、セーヴァを楽しまなければいけません。あなたを通して奉仕の喜びを生じさせなさい。あなたが、あなたの内側に奉仕の喜びがある時には、それはサトヴィックな質から生じています。ですから、期待を持たずに奉仕しなさい。」- パラマハンサ・ヴィシュワナンダ 2016年8月22日

全体として7日目は、解説に集中した日でした。パラマハンサ・ヴィシュワナンダは、第17章を午前1時、夜中1時間過ぎに終えました。一週間はあっという間に過ぎ、あと1日とあと1章、霊的なマスターがどのようにシュリーマド・バガヴァッド・ギーターの本質を捉えた壮大な解説を締めくくるのか楽しみです。ジェイ・グルデーヴ!


ギーター・コースの間、多くの参加者のための偉大な資料は、新しいシュリーマド・バガヴァッド・ギーター:韻文と訳本 です。この本は、英語の訳がついたバガヴァッド・ギーターのサンスクリットの韻文を含んでいます。特定の部分についてのパラマハンサ・ヴィシュワナンダの短い引用文、マハーバーラタの家系図、サンスクリットの発音の解説も含まれます。次のサイトからこの役に立つ本についてもっと知ることができます。